【渋谷ぐずる】のプロフィール

当ブログ【AP渋谷】の管理人である渋谷ぐずるのプロフィールです。

私のプロフィールまでたどり着いた、この出会いに感謝いたします。

せっかくなので、ぜひ最後までお読みください。

 

ぐずるのプロフィール

渋谷ぐずる 【しぶや ぐずる】

誕生日:1988年12月22日 この年は昭和63年、昭和64年、平成元年の3種類が存在する年代です。

血液型:O型 周りに柔軟に合わせることができます。

身長:174㎝

 

大阪のどこかで生れ落ちる

私は大阪のどこかで産まれたそうです。詳細は知りません。

幼少期は奈良県桜井市の安倍木材団地で暮らしていました。

その頃あたりから記憶があります。

日本三文殊の一つである、「安倍文殊院」でよく遊んでいました。

父親は不動産の転売をしており、バブルの波に乗り、私たちの暮らしは豪華でした。

自宅は大豪邸で、中庭や離れがあり、自宅の中で入ったことがない部屋もたくさんありました。

 

誘拐・監禁・人質として身代金で解放された幼少期

私が5歳~6歳くらいの時に、姉2人と共に誘拐され、監禁生活をした経験があります。

幼かったので監禁されていた時のことは薄っすらとしか覚えていません。

真夜中に起こされ、高級そうな缶に入った海外でよく食べられるようなクッキーに釣られ誘拐され、監禁先では好きなテレビゲームをさせてもらっていました。

母と祖父母の助けにより、子供一人当たり数百万円の身代金が支払われ、数カ月に及ぶ監禁生活から解放されました。

その頃父は何をしていたかと言うと、私たち姉弟を誘拐し監禁して、母と祖父母に身代金を要求していました。

この事実は私が18歳になるまで知らされることはありませんでした。

 

両親の離婚により五島列島でのびのびと育った青春時代

無事に誘拐・監禁から解放された私たちは、母の実家である長崎県の五島列島という離島に移り住みました。

父親がいない生活を送る中で、数年間は「いつかまた父とも一緒に暮らせる」と思っていたのを覚えています。

でも、子供ながらに「父親の事は口にしてはいけない」という事が何となく理解できており、家庭内で五島列島に来る以前の話をすることはありませんでした。

そのため、自分が大阪のどこで生まれたかを今でもしりません。

しかし今となっては、「父親がいなくて良かった」「五島列島で育って良かった」と心から思えます。

五島列島の中でも特に小さな町だったので同級生の人数は少なく、保育園から中学卒業まで全く同じクラスメイトと過ごしました。

同級生の親や町の大人たちは、私を実の子供の様に大切に、時には厳しく接してくれました。

気づけば私には大勢の父親がいました。

 

高校時代に挫折に次ぐ挫折を経験する

五島列島の五島高校という進学校に進学をしました。

中学生の頃は、テストで高得点を取る事や、先生に褒められることが好きで、自ら進んで勉強をしていました。

しかし、高校になると自分よりも頭がいい人間がたくさんいました。

勉強に関しての挫折を経験し、自分で勉強をすることが無くなり、次第に成績はクラスで最下位になり落ちぶれていきました。

 

部活は野球部に所属しており、上級生が引退し自分たちの世代になったタイミングで、ライトのポジションでスタメンになりました。

しかし、骨折や椎間板ヘルニアになり完治した時には、自分たちの世代の夏は終わり、ベンチで過ごし部活でも挫折を経験しました。

 

お付き合いしていた彼女にも振られ、しまいには大学受験も志望校に行けず挫折しました。

後期で国立大学に合格しましたが、その国立大学に進学する事は、大学受験の失敗を受け入れることになる為、滑り止めで受験した私立の大学に進学したいとわがままを言いました。

当然、母や担任は国立大学への進学を勧めましたが、意地を張っていた私は母に向かってとんでもないことを言い放ちました。

「父親も母親もちゃんといる家庭なら、子供が希望する大学に通わせることができたはずだ!」

母は一言だけ、

「そうか…」

数分後、長女から電話があり信じられない事実を知る事になりました。

それは、幼いころ私たち姉弟を父が誘拐し監禁して、人質として母と祖父母に身代金を要求した事でした。

バブル崩壊により大打撃を受けた父と生活をしていたとしたら、私たち姉弟が五島列島で育ったような不自由ない生活は送れなかった事、私だけがその事実を知らずにいた事にショックを受け、母に言い放った言葉を後悔しました。

母は私の放ったトゲのある言葉を受け入れ、私は滑り止めで受験した大学に通う事になりました。

自分の挫折を環境や人のせいにしていたクズで親不孝な高校時代でした。

高校生活は挫折を味わうための期間だったのだと、今となってはプラスに思えています。

 

 

福岡で一人暮らしを始めダラダラとした生活を送る

18歳まで青春時代を過ごした五島列島に別れを告げました。

18歳の時に祖父が亡くなり、五島列島には母と祖母だけになってしまいました。

そんな実家の生活に不安を感じながらも、福岡で一人暮らしを始めました。

大学に通うより、バイトして金を稼ぐ事の方が楽しいと感じて、大学には行かずバイトしまくり毎月20万くらい稼いでいました。

居酒屋でバイトしており、お酒も好きだったので、バイトが終わり飲み歩き、少し寝てバイトに行くダラダラした生活がしばらく続きました。

お酒で酔っぱらい迷惑をかける事がカッコいいと勘違いしていて、お酒で失敗することもたくさんあり、多くの方に迷惑をかけていました。

 

五島列島の実家が母の兄夫妻の宗教のお布施の為に奪われそうになる

そんな頃、祖母が100歳を迎えるという事で実家に戻りお祝いをしました。

祖母は100歳にしては意識がしっかりしていて、気が強い人でした。

そんな祖母は、100歳の誕生日を機に急に張っていた糸がピーンッと切れたように老衰していき、介護が必要な状態になりました。

気が強い祖母は老人ホームなどの施設を嫌っていたので、母が仕事を辞め介護することになりました。

それから1年程経って、祖母が亡くなり五島列島には母一人になってしまいました。

すると、祖母の葬儀に現れた母の種違いの兄夫妻がとんでもない要求をしてきました。

なんと、五島列島の実家にこのまま住みたいなら買い取れと言ってきたのです。

事の経緯を一から説明すると、母の父(私の祖父)は五島列島に家を建てた時に、種違いではあるが長男である母の兄の名義で土地と建物の登記をしていました。

祖父は口数は少なく、でもやさしさの塊だったので、死に際にしか会いに来ない兄の名義にしたのだと思います。

母以外の兄弟は五島列島にはいない為、祖父母のお世話は全て母がしました。

そのことを周囲に住む人たちは知っているので、町中の人々が我が家に集結し母の兄夫妻に「ふざけるなー」と言ってくださりました。

結局、土地建物を奪われることも、買い取る事もなくなり五島列島の小さな町に平和が戻りました。

兄夫妻は某新興宗教に献身的で多額のお布施をしており、過去にもお金の話になると何かと反応してきてホントやばいです。

 

人生の転機、ネットワークビジネスの勧誘を受ける

高校時代の同級生にネットワークビジネスの勧誘を受けました。

話を聞いた時に、ネットワークビジネスで成功する事ができれば、時間やお金に余裕ができて、いつでも五島列島に帰る事ができるのではないかと思いました。

金持ちになる方法を知らない21歳にとってネットワークビジネスの話は魅力的です。

それからネットワークビジネスに取り組み、この世の中には圧倒的な金持ちがいる事、金持ちになるには普通の事をしていてはいけないという事を知りました。

結果的に、ネットワークビジネスで成功することはできませんでした。

しかし、ネットワークビジネスで身に着けたものはその後の人生に活かせるのもばかりだったので、ネットワークビジネスを経験できたことは、人生の転機だったと感じています。

 

現時点での成功を諦め30歳までに人間力を身に着けるために働く

ネットワークビジネスで成功することができなかったのは、自分に力がなかった為だと思い、30歳になるまで社会の荒波に揉まれてみようと考え働き始めました。

  • スポーツクラブで働きスイミングのレッスンをしながら、体脂肪6%まで体を鍛え上げたり、
  • 不動産会社に就職し新築戸建ての営業で悪質な電話追客をしたり、悪質な訪問営業をしたり、
  • 結構有名な建設会社の不動産管理の部署に就職しサボりながらボケーっと過ごしたり、

どこにでもいるようなサラリーマンの生活を送っていました。

将来の自分が今の上司の姿であることに失望し、このままではいけないと思いながらも、仕事をサボっている最中にユーチューブを見て人生を変えた人を羨ましく見ているだけでした。

 

30歳に何かを始める為に、社会の荒波に揉まれて人間力を身に着けるつもりだったのが、サラリーマン生活から抜け出す事さえできなくなっていました。

30歳になり、時代は平成から令和へと代わり、私は何も考えずに仕事を辞め、法人を設立し社長になりました。

 

脱サラして自分で生きていくことを決める

脱サラし法人を設立しただけで、どのように稼いで生活していくかは全く未定でした。

でも、「自分で稼ぐ力を身に着けないと人生を変わらない」という事だけは理解していました。

今までは仕事ばかりで家族の事は妻に任せっきりだったので、リモートワークをしながら積極的に子育てできる仕事にしようと考えました。

そして、アフィリエイトやライターや企業サイトの作成代行など、ネットビジネスを取り組み、サラリーマン時代の収入よりも稼ぐ事ができ、ようやく生活ができるようになりました。

家族と過ごす時間が増え、毎日ストレスを感じることなく生活できている事を考えると、脱サラして良かったと思います。

そして、積極的に子育てをするようになった結果、「子育て世代がもっと生活しやすい世の中にしたい」と思うようになりました。

そうして「ぐするプロジェクト」は誕生しました。

 

ぐずるプロジェクトへの想い

ぐずるプロジェクトとは、

  • 「子供がぐずることで周囲の人々に迷惑をかけてしまうのではないか…」
  • 「赤ちゃんのオムツの臭いで周囲の人々に迷惑をかけてしまうのではないか…」

など、子育て世代の親が無駄に気を使い過ぎていて、肩身の狭い生活をしていたり、不本意にお子様を叱らなければいけない状況にある世の中を変えたいという想いから誕生しました。

私は一度だけ、長女に手を挙げてしまった経験がある最低の父親です。

私にもっと余裕があれば、長女がぐずることに対して気を立てる事も無かったと思いますし、手を上げることも無かったと思います。

子供がぐずる事に対して叱っている親は世の中にたくさんいると思いますが、かつての私の様に余裕がない状況なのだと思います。

 

例えば、

  • 夜中に寝ぐずりするお子様に腹を立てる
  • 公共交通機関でお子様がぐずることに腹を立てる
  • 待合室などでぐずるお子様に腹を立てる

など、お子様がぐずる場所やポイントはたくさんあります。

 

ぐずるお子様を叱ってしまう親御様の気持ちとしては以下のような場合があります。

  • 残業続きで明日も朝早いのに夜泣きで眠れない…
  • 交通機関などを利用している人の目が気になる…
  • 周囲人々に迷惑をかけていないかと不安になる…

 

でも、親にもっと心の余裕があったり、お子様がぐずる事に対して理解がある世の中であれば、子育て世代の親が無駄に気を使い過ぎていて、肩身の狭い思いをせずに、不本意にお子様を叱るという事が少なくなるのではないかと思います。

子供がぐずっているのを周囲にいる人たちが笑顔で笑って見守っている、そんな世の中になればと思っています。

 

妻と言う素敵な存在に出会い人生観が変わった

24歳の時に妻と出会い、すぐに結婚しました。

妻となら人生が楽しく過ごせると確信したからです。

そんな妻は、私がどのような状況になっても一緒にいてくれる素晴らしい人間です。

私が仕事を辞めると言った時も、法人を設立するといった時も、「わかった、一緒に頑張ろうね」と背中を押してくれます。

私にとって、妻は心の支えであり、世界一大切な存在です。

そんな私の妻は、どんなに子供がぐずっても叱る事はしません。

私は周囲を気にしてしまい、「静かにしなきゃだめ!」と子供に言ってしまいがちですが、妻は叱る理由がある時以外は周囲を気にせず堂々としています。

そんな妻を私は尊敬すると同時に、世の中の気を使い過ぎている親御様にもそうあってほしいと思っています。

世の中は私の妻の様にできない人の方がも多いと思います。

「ぐずるプロジェクト」が広まっていくことで、少しでも多くの子育て世代の生活がしやすくなるようにと私は情報発信をし続けます。

ぐずる

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【世の中の主婦あんたら凄すぎる】という事が、育児に積極的になりわかりました。子供が可愛すぎて脱サラし家族最優先で生きてます。一緒に時間を過ごしてくれる妻と子...

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渋谷ぐずる(Shibuya-Guzuru)
・ぐずるプロジェクトを拡散してる人
・『世の中のママ』を尊敬している人
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